昭和50年代まで、市町村税の一つに犬税がありました。もともとこの犬税は、明治時代から府県税として存在しており、府県ごとに課税方法が異なっていました。多くの府県では犬1頭につき一律いくら、といった形で課税をしていましたが、飼育地域や飼育目的によって課税の可否と税率を決めている府県もあり、さらには、特定の犬種を指定して税率を決める府県もありました。
※出典:国税庁ホームページ
https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/sozei/quiz/1604/index.htm
令和3年9月現在の内容を加工して作成。研究調査員 今村千文
戦前、扇風機には国税として物品税が課されていましたが、府県税でも扇風機税が課されていました。ほとんどの県では扇風機1台につき一律に課税、もしくは扇風機の大きさに応じて課税をしていたようです。
一部の県では銭湯や理髪店等の営業用の扇風機は一般家庭用よりも税額を安く設定していました。エアコンが無かった時代、一般家庭において扇風機は贅沢品だったのです。
※出典:国税庁ホームページ
https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/sozei/quiz/1012/index.htm
令和3年9月現在の内容を加工して作成。
大正15年(1926年)に、清涼飲料税が新設されました。サイダーなどの炭酸飲料だけが対象となっていました。
清涼飲料税が新設された背景として、当時のサイダー類の消費拡大が挙げられます。明治末年頃からビール会社を中心としてサイダーやジンジャエールが大規模に製造販売され、ビールと同じような高級飲料として扱われました。高級嗜好品として世間に認知されたため、課税対象となったのです。
※出典:国税庁ホームページ
https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/sozei/quiz/1412/answer.htm
令和3年10月現在の内容を加工して作成。研究調査員 渡辺穣
第一次世界大戦により、日本は大戦景気となりました。欧米諸国からの輸入がほぼ途絶したため、国内では重化学工業を中心に企業の勃興が相次ぎ、巨額の富を手に入れた成金が現れたのです。国内が好景気に沸く中、法人及び個人の利得に課税される「戦時利得税」が創設されました。
この時新聞は、戦時利得税を「いわゆる成金税」と表現したのです。当時の風刺画に「(玄関が)暗くてお靴が分からないわ」「(百円札に火を灯して)どうだ明るくなったろう」というやりとりが描かれています。
※出典:国税庁ホームページ
https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/sozei/quiz/1402/answer.htm
令和3年10月現在の内容を加工して作成。研究調査員 栗原祐斗
明治初期の東京で、外国産の珍しい兎をペットとして飼育することが大流行しました。当時の巡査の初任給が4円程度だったのに対し、1羽数百円もの高値で取引されるものもありました。当然、兎で一攫千金を目論む者も現れ、普通の白い兎に色を塗った偽物を売る者が現れるなど社会問題化しました。
そこで東京府は、兎の売買を認めるかわりに1羽につき月額1円の兎税を課税しました。これにより兎の価格は暴落し、異常なブームは終わりを告げました。
※出典:国税庁ホームページ
https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/sozei/quiz/1904/answer.htm
令和3年10月現在の内容を加工して作成。研究調査員 牛米努
流木税は、山奥の森林地帯で伐採された木材を河川を利用して輸送することに課された昭和初期の税金です。
河川を用いた木材輸送の歴史は古く、平安時代以前より木材の輸送手段として材木を組んで筏にし、下流に流して運ぶことが行われていました。これらの方法は「木流し」や「筏流し」と呼ばれ、全国各地の河川で行われました。
ちなみに、この筏に乗って下流まで木材を輸送する職業は「筏乗」、「筏師」と呼ばれ、彼らにも「筏乗税(いかだのりぜい)」という税金が課されていた地域もありました。
※出典:国税庁ホームページ
https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/sozei/quiz/2006/answer.htm
令和3年10月現在の内容を加工して作成。研究調査員 菅沼明弘
江戸時代、醤油は、清酒・濁酒とともに、幕府等が株を発行して製造者を限定し、冥加金(みょうがきん)という税を課していました。
明治維新後も新政府はそれを踏襲しますが、明治4年、旧幕府時代からの醤油造株鑑札(免許状の一種)を廃止して免許料1両1分で新規に免許鑑札を交付、新たに免許税(稼ぎ人一人につき毎年3分)と醸造税(毎年醤油代金の0.5%)を課税するようになります。
しかし、明治8年、醤油は酒とは違い日用の生活必需品であり、ぜいたく品ではないことから、課税するのは不当であるという意見により、醤油税は廃止されました。
※出典:国税庁ホームページ
https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/sozei/quiz/1112/index.htm
令和3年10月現在の内容を加工して作成
大正から昭和にかけて、電柱税という地方税がありました。昭和11年の電柱税税収額1位は、愛知県でした。愛知県は、織物業・紡績業・製糸業などの繊維産業が盛んでしたが、第1次世界大戦後から航空機工業など軍事産業の中心となり重工業も発展、中京工業地帯の中心になりました。
明治時代の終わりから日本の産業には、製糸業から紡績業へ、軽工業から重工業へという流れがあります。電柱税の税額上位県の動きを見ると、このような産業の変換に対応していたことがうかがえます。
※出典:国税庁ホームページ
https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/sozei/quiz/1408/answer.htm
令和3年10月現在の内容を加工して作成 研究調査員 舟橋明宏
アジア・太平洋戦争末期の昭和18年、特別行為税法が制定されました。これは、調髪と理容美容などの整容、被服類の仕立てや染色・刺繍などを「特別行為」として課税対象にしていた国税です。
戦局が悪化すると、調髪・整容の税率は50%に設定されました。昭和21年に廃止されるまで、現在の感覚ではとても特別とは思えない行為にまで高率の課税を行っていました。
正に「ぜいたくは、敵だ」の標語どおり、戦時下では日常的な営みが「奢侈(しゃし)注1」と断じられ、国民生活が切り詰められていきました。そうした当時の様子を伺うことのできる税金です。
※出典:国税庁ホームページ
https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/sozei/quiz/2008/answer.htm
令和3年10月現在の内容を加工して作成 研究調査員 山本晶子
注1:度を過ぎた贅沢のこと。
昭和3年、岡山県では、全国に先駆けて蓄音機税が導入されました。蓄音機税は、奢侈(しゃし)品注1を課税物件とする税の一種でした。蓄音機の所有者は申告が必要で、税額は1台につき年2円でした。
蓄音機は、耐用年数が長く、恒久的な税源になると評価されていました。また、地方において、蓄音機やその所有者が移動することは少なく、年々の台数の増減も激しくありません。しかも、蓄音機の所有者の多くは裕福な者であったので、年2円程度の税金を負担する担税力は充分に備えていたのです。
※出典:国税庁ホームページ
https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/sozei/quiz/1404/answer.htm
令和3年10月現在の内容を加工して作成 研究調査員 舟橋明宏
注1:生活必需品以外のぜいたく品のこと。
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プロフィール
山田全自動YAMADA ZENJIDO
佐賀藩出身・福岡藩在住
イラストレーター、WEBデザイナー、ブロガー。浮世絵風の和風絵に一言コメントを添えた作品を毎日SNSで発信しています。企業のプロモーションイラストや書籍の挿絵・装画なども担当しています。
また、福岡を中心に郷土史研究の活動も行っています。運営ブログ「Y氏は暇人」。著書「山田全自動でござる」「またもや山田全自動でござる」「福岡路上遺産」「福岡穴場観光」など。